まず1つ目。

最近、女性の管理職登用や女性社長のお話などが日本だけでなくここカナダでもよく見られます。
昔はいろいろな職業で男性優位というのがはびこっていたのでしょうが、現在はそうでもないと思います。特に、カナダなどの海外では。
 
こちらでは、各部署のトップ、日本で言うところの部長クラスには女性も多く登用されていますし。

Girls Power 01


私は個人的には、体力を使わない業種・仕事で、男性も女性も差がなく貢献できる仕事であれば、性別による差をなくして起用・登用するのは当たり前だと思います。
 
逆に、例えば化粧品の店舗でのセールスや女性用の服飾品などのセールスは女性でないといけないですし、また引っ越し業者とか力作業を長時間必要とするものは男性中心になるのは仕方ないと思います。


なので、そういった特殊性と言いますか、女性ならでは・男性ならではのお仕事以外では、もう今はそこまで大きな差別?はないように思うのですが、実際はどうなんでしょうね?
特に日本では今でも「男性優位」な感じの会社が多いんですかね??


ただ私が気になったのが、記事によっては「全従業員の○○%は女性」とか、「管理職の○○%は女性」という表現。
 
また記事によっては「管理職の女性比率を○○%までもっていくのが目標」とかも。これにちょっと違和感を感じるんです。

例えば管理職への登用について、「性別」を判断基準に入れないのは勿論ですが、そこに「女性枠」みたいなものを設けるのはちょっと趣旨が違うのでは、と。
 
管理職への登用やその他幹部登用などなど、これはその会社にとっても重要なものです。なので、純粋に「スキル・経験・適応性」などで選ばれるべきでしょうし、そこに「性別による特別枠」を設けることで会社自体にメリットがあるとは思えないんです。まあ、それはその会社のやり方だから、他のものが口出すな!って言われればそうですが。。。


この問題を特に感じたのが日本の国会議員さん。

国会議員に占める女性の割合を増やしましょう!みたいな運動というか言葉を聞きましたが、国会議員の仕事こそ「スキル・経験・適応性」などなどで選ばれるべきでしょう。選挙という洗礼を通して。
そこに「女性枠」を設けることの意味合いがよくわからないんですよね。国会議員自体が既に国民の代弁者ですよね。それの上に性別毎の代弁者を選ぶようにするのであれば、私は「じゃあ、例えば年代別の代弁者を選べるようにしてほしいし、例えば障害を持つ人たちの代弁者を選べるなどもしてほしい」と思うんです。ある程度の女性議員は必要だと思いますが、それに「枠」をつけてまで入れる必要は全く見えません。そういう風に「底上げ」されて当選してきた人たちが、本当に私たちの代弁者であり、且つ国の重要な部分をつかさどるにふさわしいとは思えませんので。。


女性の管理職が増えるのはとても良いことだと思います。個人的には、男性管理職・女性管理職に差はないと思っていますので。もちろん、小さな部分での個性的な違いはあると思いますよ。
でも、男性だからダメ、女性だからダメ、という部分はほとんどないと思うんですけどねー。それを、「女性の管理職・女性議員を無理やりにでも・義務的にでも増やしましょう」みたいな運動につながる記事を見かけるのは残念です。。まあそういった記事自体、書いた人や座談会形式での”個人的に意見”なのでしょうけどね。。そういった枠・セーフティーネットを作らなくても、才能のある女性・実績のある女性は重要なポジションに登用されると思いますし、またそういうことができない会社は将来性がないかもしれませんしね。なので、無理やりにやる必要はないと思います!


2つ目。

日本の小学校で、英語の授業を5年生から本格的に始める、という記事を見ました。
 
Kids Study 01

 
まず、今の日本の英語教育って、「何を目標」にしているのかがいまいちはっきり見えません。私も中高で英語を勉強しましたが、はっきり言って、今カナダで生活しているうえで、また海外に出て地元企業に勤めた際に役に立っているものはほとんどありません。社会人になってからの独学・自主勉強の方が今でも役に立っています。


日本の英語学習はしょせん「高校・大学入試のため」だけの、いわば「テスト勉強」ですよね。少なくとも、私の中学・高校時代はそうでした。
 
でも日本の教育制度なんてほとんど何も進歩していないでしょうから、今でも同じ目的なんでしょう。


もう一つの今の日本の英語教育の弊害は、「細かいところを気にしすぎる。完璧主義すぎる。」部分です。
 
これはそれこそ、「高校・大学入試のテストで間違えないように」細かい文法上の使い方を覚えるのでしょうが、それって実際に英語を使って生活している人たちには全然重要ではないんですよね。
そんな「重箱の隅」をつつくような用法を覚えて、英語での実生活に役立つことは、まあ何一つないといっても良いと思います。


以前アイルランドにいた際、小中高校で日本語や日本文化の紹介を行っていました。学校が夏休みに入ったのを利用して、現地の英語学校に少しだけ通ったことがありました。
 
その時にその学校の先生(アイルランド人)から、一つ日本からの生徒さんの話を聞きました。その方は50代後半の女性で、30年近く中学で英語を教えていたそうです。
 
彼女はWriting / Reading (読み書き)は完璧!って英語学校の先生が言うくらい完璧でしたが、Hearing / Speaking (聞き、話すこと)が全くダメだった、と。

 
先生は勿論ネイティブですので、ゆっくり話すのですが殆ど聞き取ることができなくて、且つしゃべるのも恥ずかしがっているのもあって、授業中は本当に会話にも入ってこず、ただただ筆記試験で良い点数を取るだけ。。。


この方が日本の英語教育のすべてを表していると思うんです。


読み書きも大事ですが、コミュニケーションで一番大事なのは「会話」です。
日本の教育では「英語の読み書きはかなり高レベルでできるけど、会話によるコミュニケーションが殆どできない」という、奇妙な人たちを沢山生み出しているんですよね。。。


この読み書きが高レベルでできる(そう教わる)のが、「文法は完璧じゃないとダメ」というプレッシャーを生んで、英語で会話する時も「完璧な文法」を使おうとして焦ったり、恥ずかしがったりしているように思うんです、私は。もっとフランクに、本当に「英語による会話・コミュニケーションが取れる」人間を育てる教育に変更すべきだと思います。語学を大学等で選ばない限り、結局日本の英語教育って、その後の人生で全く役に立たないものですよね。まあ、英語だけに限らないと思いますが、特にこれから日本が生き残るためには海外との付き合いを増やしていかないといけないというのは明白だと思うんです。それなのに、Foundamentalの部分ではいまだに「会話できない」人を量産する仕組みが残っている・・・・。


ふと思ったんですが、社内の公用語を英語にしている楽天って、効果あるんですかね??
私はその後をよく知らないのですが、勘としてですが、多分これってあまり意味ないと思うんです、特に日本人同士だと。

 
特に日本人同士で英語での会話は照れが入るだろうし、細かい部分になるとどうしても日本語になると思うんです。なので、強制的にそういう環境を作ったところで、元々の土台として「会話のための英語」を勉強していない以上、定着は難しいというか、「世界に通用する」人を作るのは難しいと思います。


話は戻って、5年生での英語教育。これって何を目的にしているのか・・・。
「試験対策のための読み書きはできるけど、英語による会話はできない」人間を作る教育プランの延長であれば、こんなことは小学生のうちからする必要はないと思います。と言うより、時間の無駄だし弊害しかないと思います。


ここケベック州、及びモントリオールは日本と状況は似ているかもしれません。英語ネイティブの人たちもいますが、大部分はフランス語ネイティブ。
 
但し、中学・高校で英語を勉強します。なので、ケベック州の人間はほとんどがバイリンガル(英語・フランス語)なんです。これは環境の問題もあると思います。特にモントリオールにはアメリカを中心に世界中から多くの企業が入っていますし、また世界中から沢山の学生さんを受け入れています。ですので、どうしても複数の人間が集まった場合、共通語として英語が使われるんです。それはお店等でも同じ。フランス語だけで生活できるのは、人口の少ない地域、大都市から離れた地域だけだと思います。日本との違いは、こちらでの英語教育は「試験のため」ではなく、「生きていくための手段」としての意味合いが強いという点です。正直、こちらではバイリンガルどころかトリリンガル(3か国語)もざらにいますよ。ただ、バイリンガルにしてもトリリンガルにしても、それはあくまでも「仕事をするためのオプション」みたいなところはあります。

Study English 01


つまり、「英語ができる。フランス語ができる。」という理由だけでは仕事はないってことです。英語を話せるというのはオプションであり、「その英語を使って何ができるのか」が一番重要なところなんです。

 
日本ではまだ全然そのレベルまでいっていないと思います。。。英語での会話ができる人たちが育たない日本の教育に対して言っても仕方ないかもしれませんが、「(英語を話せるのは当たり前。)その英語を使って何ができる」というのがもっと重要なんです、特に英語圏では。



一方日本の場合は「日本語」さえ話せれば問題ないですよね、日本にいる限り。

英語を話せないといけない仕事なんて、ごくごく限られている、もしくはそういった地域は限られていると思います。

 
そういった意味では日本は英語教育においては「恵まれていない」地域・場所だと思います。が、それでも政府は世界各国から英語教師を雇っていますよねー。。。各学校がそういった先生たちをもっと上手に使うべきだと思うんですけどねー。。


他のブログでお話したかもしれませんが、私は海外に出始めたとき、上記いわゆる”日本人の英語コンプレックス”から積極的にネイティブの人たちの会話に加わることもできませんでした。
でもホストマザーから「言い方は関係ない。”何を伝えたいのか”がとても重要なの。」と言われて、本当に目からうろこが落ち、はっきり言ってあの言葉があったから、今の自分があると思っています。この言葉こそ、日本の教育現場で先生が生徒に言うべき至言のセリフではないでしょうか??そう言える環境・教育制度を作るべきではないでしょうか??


私も今でも文法上の間違いはしますよ、しょっちゅう。例えば、ミーティングとかで英語ネイティブのカナダ人やアメリカ人とのやり取りで「I think he don't like the plan as it costs us a bit too much, lets prepare for an alternative in case」と言ったとします。これって文法上の間違いがありますよね?この文法上の間違いは僕はよくするのですが・・・。


答えは[He Doesn't]でなければいけないということ。日本の英語教育風に言うと、「三人称単数」なので、DoではなくDoes.

 
でもね、こんな小さな間違いを犯したところで、私が本当に伝えたい事「別プランも作っておこうよ」という意味が相手に伝わらないってことないですよね?

 
また、ネイティブも「あ、こいつ文法を間違えやがった。こいつの言うことは聞けない。」なんて思うわけないじゃないですか??

 
揚げ足取り・重箱の隅をつつくような「文法完璧主義」の考えの下英語を学ぶより、もっとのびのびと「伝えたい・伝わりやすい表現」という「実地」に役立つ英語教育を、そろそろ本気でやるべきでは??


でないと、本気で英語を身につけたい人たちはどんどん日本を離れていったり、もしくは使える英語教育に力を入れている他の国に遅れをとることになり(というより既に日本は英語教育においてはかなり差をつけられていると思います)、結局日本にとってプラスになることはないような気がします・・・。


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