こちらも同じくCBC Newsよりの記事。
Netflixで近々配信予定の映画・デスノートをボイコットしようという呼びかけに対して、目標数である10,000人の署名が達成されそうだ、と言うもの。

DEATHNOTE MAR262017 01

(ハリウッド版デスノート。CBC Newsサイトより。)

このデスノート、原作はご存知の方も多いと思いますが日本の漫画。
それのハリウッド版ですよね。このハリウッド版に対して、以前ブログでもお話ししたKarlie Klossさんの和装問題(Cultural Appropriation(文化の盗用))と並んで、「当事者不在」で部外者の勝手な「理想論」だけで話が進んでいるような気がするんです。


確かにデスノート自体は日本の漫画が原作で、その漫画の中では主人公などの登場人物は日本人がほとんど。ただそれをハリウッド版で映画にする時でも「アジア人」を入れないといけないのでしょうか??そこが全く理解できないんです。これは、「”公平性”と言う言葉を借りた、少数派の暴力」と同じだと思うんですよねー。


過去にも、黒澤明監督の「七人の侍」をリメイクした「荒野の七人」と言う映画をアメリカは作っていますし、他にも色々とリメイク版・ハリウッド版って作られてきていると思うんです。原作が非白人がメインキャラクターだったからと言って、そこまで遠慮する必要があるのでしょうか?これはただ単に「因縁つけている」だけだと思うんです。

DEATHNOTE MAR262017 02


この記事の下の方に「君はアジア人だからオーディションを受けないほうが良い」と言われた中国系の俳優の話が載っていました。これがもし本当ならそれは人種差別的な問題だと思いますが、でもこの映画とは関係ないところでの問題ですよね??


何か最近は、色々なところ・場面で「被害者意識」が強すぎる人たちの「過度な要求・ヒステリックな要求」がまかり通ってしまうのをたびたび目にしますが、それは世界を狭くしているだけで、住みづらい世の中になっているなー、としか考えられません。一部の人間はそれによって得することがあるのでしょうが、大多数はただ単に「食傷気味」と言うか、「レストランで料理にいちゃもんつけてお金を支払わない、もしくは何か賠償を得ようとする」人達と同じ、と言うイメージを持つだけだと思います。

DEATHNOTE MAR262017 03


「独りよがりな、自分勝手な」主張を恥ずかしげもなく堂々と公に行うのが当たり前の社会ではなく、本当の意味での共存・共栄、良い意味での意見交換が活発に行われる社会にしてほしいですねー。。。

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