先月の報道で、イギリス保守党を率いるテリーザ・メイ首相が首相と党首辞任を発表し、そして今月実際に辞任されました。理由はEU離脱交渉の不調によるもの。元々EU残留派であって、混乱時に首相に就任した(させられた)メイ首相。はっきり言って、イギリス人以外の国や人々からは同情の声が多いと思います。

MAY MAY262019 01
(本当にお疲れ様でした。Global Newsサイトより。)

さてそんなイギリスを見て思うこと。それは「国民投票」というものの怖さです。

そもそも、アメリカやイギリス、日本などの民主主義国家は、一定間隔で選挙を行い、その後次の総選挙までの間、どの政党にこの国の運営を任せるかを決めるシステムになっています。それはアメリカのような2大政党が強い国、日本のように少数政党が乱立する国、様々なケースがありますが、基本は一緒です。


で、その選挙の際に各政党は「次の任期の間、私たちはこれをこうします!」と言う、日本でもおなじみになった「マニフェスト」を掲げるわけですよね。つまり、この時点で国民はある程度の「意思」を表示しているはず。勿論汲み取れない部分もありますが、民主主義社会では「多数の意見に寄り添う」と言うのが基本ですよね。まあ、それを無視している国々も沢山ありますが・・。


私が言いたいのは、その上で更に国民投票で国民に判断させる・責任を持たせるっていうのは本当に必要なことなのか?っていうことなんです。イギリスの例を挙げれば、国民投票でEU離脱を決めました。でもそれって結局国内を分裂させただけで、勿論政治の体たらくも原因の一つですが、何の進展もありませんよね。


そして今、第二の国民投票案まで出てくる始末。。これって私は政治家の無責任さ、そして衆愚政治化だと思うんです。本来、それこそ血反吐をはくように調整・討論しつつ、国民の代表として政治家が意見を集約させて、それを国民に示して行動に移すというのがあるべき姿だと思います。そこでは勿論、反対派の国民から文句を言われたりすることもあるでしょう。でもそれこそ「多数の原理=民主主義」により、そのルールにのっとって決めたことだし、そもそも「選挙」という洗礼を受けた国民の代表が決めたことだから、最終的には国民も従うと思うんです。


でもこの国民投票はそういった過程をすっ飛ばして、全ての責任を「国民」に押し付けるシステムにも見えるし、そもそも選挙結果との整合性も取れないケースが出てくると思うんです。その場合はどうするのか、そこまで考えてはいないような・・・。


国民投票ではなく、選挙時に公約としてEU離脱かどうかを掲げた選挙を経た政治家が、その指導力を発揮して解決すべき問題だったと思いますし、逆にこれは良い例だと思うんです。日本でも大阪府や市が第二回目の住民投票を行うと言っていましたが、イギリスのケースを参考にしてみては?住民投票がどのような結果になろうが、分裂を作るだけであり、本来それを防ぎべき政治家がそれを行うのはどうかと思います。


要は、「自分たちに都合の良い結果」になるまで何回でも「国民投票」を行え、且つそれで混乱があったとしても、「あなたたち(国民)が選んだ結果でしょ?」と、政治家が免罪符として使うことにもなる・・・。


まあ上記は私個人の意見だし、私も各国及び日本の国民投票や選挙制度等を良く知っているわけではありませんので、あくまで感覚値と言うか感想だけですが、でもなんだか「国民投票 = 政治(家)の無責任さ」を感じてしまいます・・・。







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